こんにちは、ヒデ(@hideto1939)です。
先日、久しぶりに、かなり心に刺さる本と出会いました。
落合信彦の「狼たちへの伝言」という本です。
そのときにしたツイートが以下です。
落合信彦氏の「狼たちへの伝言」
「人生は20代で決まる」と同じか、それ以上に若者に読んで欲しい一冊。
なんというか、熱い。文章に激烈な熱がこもっている。
「自分たちは、なんて甘ったるい世界を生きているんだ」そんな現実に気付かせてくれる。
久々に、強烈な個性を放つ本に出会えた。#読書 #本— ヒデ(Hide)💻✏️ (@hideto1939) September 4, 2019
うん、読んだ直後、かなり感銘を受けていることが伝わってきます。。
今回は、僕が「狼たちへの伝言」を読んだ中で、心に残った言葉を抜粋してみました。
この作業は、より自分自身の考えを深めるための作業でありつつ、この本の良さをあなたに伝えるための作業でもあります。
少しでもこの本の良さを伝えられたら嬉しいです。
では、始めます!
「狼たちへの伝言」に宿る激烈な熱を伝えたい【名言まとめ】
それでは早速、「狼たちへの伝言」に宿る激烈な熱を伝えるべく、心に残った言葉を紹介してきます。
※以下、文体変わります。m(_ _)m
いまの世の中は、ブタのような人間ばかりがはびこり、万事〝金〟のつまらない価値観ばかりがあふれている。若者は、といえば、その風潮にどっぷりとつかり、たかだか数千万円の住宅ローンが人生最大の冒険、という寂しい生き方に満足し切っている。だが、人生は本当にその程度のものなのか。そうではないだろう。小利口に生きることを捨て、大きなバカとして生きれば、世の中はどんなにおもしろいか。退屈しないか。それだけを伝えたくて、オレなりの人生論を出すことにした。
落合信彦がこの本を書くことを決意した理由を明記している一節。
要は、既存の社会の価値観に収まりきって縮こまっている若者に警鐘を鳴らしているということだろう。
また、何と言っても感銘を受けるのはこの文章。日本人を「ブタ」と呼び、一人称は「俺」、激烈な熱を感じずにはいられない。
序盤でこの文章と出会い、一気に引き込まれたのを覚えている。
防御的な人間でおもしろい人間なんて、ひとりもいない。おもしろいヤツはみんな攻撃的だ。
自分の中でハッとさせられた言葉。
確かに、世の中を眺めてみても、「面白い」生き方をしている人は、ほとんど例外なく攻めている。
挑戦し続けている。
改めて自分も人生を「攻めて」いきたいと思わせてくれた言葉。
いまの世の中、ツマラない人間ばかりだと、オレは思う。破天荒な人間、滅茶苦茶な人間、個性のある人間がいなくなった。心の自由を持てる人間、闘争心のある人間もいなくなった。政治家も、マスコミも、親も教師も。つまり、大きなバカが世の中にいなくなって、代わりに小利口ばかりが幅をきかせる。だから、世の中そのものがおもしろくなくなってしまっている。
確かに、現代日本には「お利口」が溢れているような気がする。
社会の空気を読み、自分をその精神的な檻の中に閉じ込める。目立つことを極度に恐れ、他人の意見に追従する。
そんな人間が日本には多い。
もちろん、「調和」という意味では空気を読むことは大切である。また、絶妙な「調和」の空気感が日本独自の「わびさび」の文化を醸成しているのも事実。
しかし、あまりに枠から出ないというのも考えものである。
少しくらい枠から出てもいいのではないか。自分の意見を述べてもいいのではないか。
そんなことを考えさせられる言葉。
考えることも、行動することもできないブタは死ね、といいたい。
心に刺さる。。
オレはどうしたか。荷物をまとめて家を出た。横浜、山下公園にテントを張った。港に入ってくる外国船に片っぱしから頼みこんだ。ただでアメリカに連れていってくれ、と。
落合氏はアメリカの大学への入学を決めた。
しかし、「アメリカに渡るための金」が無かった。そこで落合氏がとった行動が上記である。
結果、落合氏はアメリカに渡ることに成功する。
多くの人は、「行動できない理由」を無理やり作ることで「自分が行動しないこと」の正当性を主張しようとする。
落合氏の場合も、「言い訳」の材料は大いにあったはずである。「お金がないから」と言えば誰もが納得したであろう。
しかし、落合氏は自分の意志を貫き通した。お金がないことを言い訳にはしなかった。
この大いなる野心とハングリー精神は、本当に見習いたい。
日本を飛び出ることは、大いに結構なことだ。いつまでもこの国にいると、どうしようもない人間になってしまう。それも事実だ。現在の日本は豊かな国だ。しかし、物ばかりがあふれかえって、逆に自由がない。つまらない、悪い意味での平等社会だ。ほかの人は何を考えているのだろうか。自分と同じポジションにいるもうひとりの人間はどう行動するのだろうか。そんなことばかりに人々は気をとられている。ということは、自分の首にプライスタッグ、値札をつけて生活しているということだ。「自分はこれだけの人間だ」。それですべてを決めている。日本にいるかぎり、そういう社会の不自由さになかなか気がつかない。だから、一度はこの国を自分から捨てる必要があるのだ、とオレはいつも思っている。
日本の現状を分析しつつ、若者に海外に出ることをすすめている文章。
確かに、日本というのは「閉塞感」に満ちていると思う。
島国であるというバックグラウンドも関係しているのだろうが、「開かれた」感じがしない。文化も価値観も、もちろん良い意味でもあるが、海外とは乖離している。
要は、日本で育った日本人というのは「純粋培養」された人間なのである。あまりにも狭い価値観の中で生きている。
そんな人間が、価値観を広げ、より広い視野を持って世の中を眺めるための手段として、落合氏が薦めているのが「海外に行く」ということである。
もちろん、海外を神聖化し、「海外に行ったら変わる!」と思い込み過ぎるのは考えものである。
しかし、何かしらの刺激を受けるのは事実だと思う。私の少ない海外経験からもそれは感じている。
若者は一度は海外に出るべきだと、私も考えている。
活字よりも漫画、というこの事実は、この国の文化水準というものを考えるうえで、何か危険な傾向の表われ、と思えてならない。漫画もスポーツ新聞のエロページも、分類すれば決して現実ではない。あくまで非日常の単純な世界だ。読むのに頭を使う必要がないから、無責任に自分を没頭させることができる。だが、それを読んだからって何が残るわけでもないし、何が生み出されるものでもない。
極論だなとは、思う。しかし、日本が抱える問題の一側面を明確に指摘しているのも事実。
日本は、明らかに「活字」の文化が廃れてきている。動画や漫画等の「楽」な方向に大衆は流れていっている。
そんな現状を落合氏は憂いているのだと思う。
活字が良くて、漫画や動画がダメ、というよりは、「楽」な方向に流れる軟弱な若者への警鐘なのだろう。
困難に立ち向かう「勇気」を持つ必要がある。惰性で生きる人生ほどつまらないものはない。
だから、オレはここでいいたい。不安だから、さびしいからといって、そこから逃げるな、と。寂しさも、悲しさも、人生の重要なスパイスなのだ。少しくらいしんどからといって、安易にそれを紛らわすために、くだらないものに逃げるな。ましてワケのわからない新興宗教といったそういうものにだ。若者よ孤高になれ。二本の自分の足で地上にたて、と、そういうことなのだ。つまりは前からもいっているがインテリジェンスを持て、そうして知的な自分自身で物事に対処せよ、ということ。流されるままの無知な人間ほど、およそどうでもいいモノや宗教に振りまわされてしまう。
多くの日本人は友達と「群れる」ことで精神的な充足を得ようとする。社会的な繋がりを持つことで自分の存在意義を見出す。
もちろん、人間は一人では生きてはいけない。ある程度の繋がりを持つことは大切である。
しかし、度を過ぎて人と繋がり過ぎるというのも考えものである。
特に今はSNS全盛の時代。意識せずとも多くの人と繋がることができる。
それは我々に多くの利益をもたらしてくれた一方、「孤独になる勇気」を我々から奪ったような気もする。
孤独に物事に向き合い、自己研鑽を続ける。
そんな地道な態度で人生を生きるための土壌が失われてきた気がする。
だとしたら、どうすればいいのか。
意識的に「孤独になる」時間を作り出せばいい。数時間でもいいから、スマホを手放して、自分の頭で思考を深めてみる。
そういった習慣を作るだけでも「自分の脚で立てる人間」に一歩近づけるはずである。
今年の春に就職したヤツでもいい、これから就職しようと考えているヤツでもいい。そんな若い連中のなかで、本気で仕事をしてやろう、と考えている人間が、はたして、どれだけいるのか。仕事の実力をつけてやる。名刺の肩書きがとれても、それでも外で立派に通用するほどのバリバリの人間になってやろう、そう考えている若者が何人いるだろうか。たとえロンドンに飛ばされても、パリに行かされても、そこで生きていける。日本という国から切り離されて、ニューヨークのスラム街で、ゴミをあさっても生きていく。その力をオレは実力だと思う。
従来の日本的価値観では、「出世」が全てだった。
いかに自分の会社の中で自分の地位や名誉を極めていけるかが全てだった。
しかし、そんな時代はとうに終わっている。
終身雇用や年功序列が崩壊し、来年も自分の会社が存在している保証は一切ない時代である。
そんな時代で、「社内だけで通用する技術」を身につけていても役に立つはずがない。
会社の看板だけで勝負している人間は、やがてその看板を外された時に路頭に迷うことになる。
それが嫌なら自己研鑽を積むしかない。
目の前の作業を誠心誠意全力で取り組み、少しでも向上心を持って物事に取り組む。
その積み重ねがあなたを「どこでも通用する人材」に押し上げてくれるはずである。
なんでも平等、平等にと、レベルの低い者にあわせる。せっかく優れた才能を持っていても、みがきをかけるチャンスがない。優れたものは、競争のなかから生まれるものなのだ。
日本の学校教育は、ヤスリのようなものだと私は考えている。
元々はいびつで個性的だった子供たちを、ひたすら磨き続けて「角」をとる。やがて、みんな「同じ形」「普通の形」に近づいていく。
そうすると何が起こるか。外山滋比古の「思考の整理学」の言葉を引用すれば、「グライダー人間」が大量生産される。
自分の意志では行動できない。他者のアシストがあって初めて飛ぶことができる。
日本社会には角の取れた「均一な人々」が溢れる。
この現状は、どう考えても変える必要があると、私は考える。
今は戦時中ではない。時代は変わったのである。
オレが、自分のこれまでの経験と人生から、いまの若い連中にいいたいことはこういうことだ。世の中に起きている現象には、いい現象もあれば悪い現象もあるということ。そのどれひとつも、全否定はできない。たとえ、それが悪い現象であったとしても、そのなかにある何分の一かは受け入れなきゃならない要因がある。心を閉ざしてしまうと、それが受け入れられないのだ。感激するのはいい。ヘーゲルであってもマルクスであっても、かまわない。しかし、それが金科玉条のごとく宗教になってしまってはダメなのだ。
我々は、どうしても自分の価値観が「正しい」と思い込んでしまう。
そして他人の意見を拒絶し、自分の世界だけに閉じこもる。
しかし、それは適切な態度ではないと思う。
正しいの「逆」もまた「正しい」場合があるからである。
以下のTED動画では、まさにそのことが語られている。
自分の価値観を絶対と思わず、全く違う意見も受けつけるだけの「柔軟性」はずっと持ち続けていたい。
こういういい方もある。「20代は考えるな。30代で少しだけ考えろ。そうすれば40代で何も考えないですむ」と。つまり、20代ではうだうだと考えてばかりいないで、とにかくやれ。ガムシャラに何でもやれ。そして30代では、その20代で経験したこと、それのよって身につけた知恵と実力を元手に少しは要領よく、さらに動け、ということなのだ。そこまでやれば、40代になったら自ずと力をつけていて、それ以上は何も考えなくとも十分に何でもやれる。
それぞれの年代における人生への態度が示されている。
20代は「考えるな」つまり、ひたすらに行動し、チャレンジし続けろということが述べられている。
多くの人は失敗を恐れてチャレンジしない。
しかし、失敗はネガティブなことではない。
失敗をすることで、自分の中に大量の経験値や知見を溜め込むことができるからである。
失敗の数だけ成長すると言ってもいい。
とにかく20代は挑戦し続けて自分の枠を拡張し続けることが大切である。
なんか、もっとロックに生きたいよね。。【人生一度きり】
この「狼たちへの伝言」を読んで一番感じたことは、「なんて自分は甘っちょろい人生を生きていたのか」ということ。自分なりにひたむきに人生を歩んできたつもりでしたが、正直全然甘かったです。
まだまだ挑戦していないことはたくさんあるし、ビビって行動できていないこともたくさんあります。
しかし、この本を読んだことで「ビビって行動しないことほど無駄なことはない」ということに気付けました。
失敗しても、多くの経験値や知見は自分の中に蓄積されるけど、行動しなかったら、行動しなかったことへの後悔だけが残るからです。
まだ20代、といっても、人生はいつ終わるか分かりません。80年後かもしれないし、もしかしたら交通事故で明日死ぬかもしれない。本当に一寸先は闇かもしれないのです。
そう考えたときに、時間を無駄にすることほど悪なことはないと感じました。
もっと1秒1秒を濃密にしていきたい、人生を最大限燃焼させたい、そして後悔なく死んでいきたい。
そんなことをこの本から感じることができたと考えています。
今回は以上です。
この記事を読んで「狼たちへの伝言を読んでみたい!」と思った人は、是非とも自分の手にとってみて、全ての文章に目を通してみてください。
人生を最大限の力で生き抜くための「激烈な熱」をあなたに授けてくれるはずです。
では!m(_ _)m

続編も2冊出ています!
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